結婚と家族

さて、バッホーフェンの原始乱交制と原始母権制の理論は、その後の人類学にふかい影響をあたえた。
多くの学者たちが彼の学説をうけつぎ、発展させた。そして、ちょうどダーウィンが下等動物から高等動物にいたる生物進化の過程を考えだしたように、
バッホーフェンとその継承者たちは、原始期の乱交制の段階から文明時代の一夫一婦制の段階までの一系列の社会進化の過程を説明したのであって、
そのような意味で、主として一九世紀後半のこれらの学者の人類学説は、「進化主義」とよばれているのである。

この進化主義学派の人類学者たちのなかで、もっとも重要な働きをしたのは、かの有名なモルガンであった。
彼が一八七七年にあらわした「古代社会」という書物は、当時彼が手にいれることができた原始民族についてのあらゆる人類学上の文献をつかいこなし、
もっとも原始的な段階からギリシャやローマの古代文明社会にいたるまでの原始時代の社会史の全体を体系的にあとづけたもので、その後の人類学界では古典として仰がれている本である。
しかも、この書物について特徴的なことだが、乱交制から一夫一婦制にいたるまでの結婚と家族の発展があとづけられるぱあい、
モルガンはおもに親族の名称をその拠りどころとしたのであって、単なる思いつきとはちがって、彼の学説には彼なりの一応の客観的な根拠があったのである。
「親族名称」というのは、『父』とか『母』とかいうように、親族の間柄にたつ人為をその親族の関係によって言いあらわす言葉であるが、
モルガンは、原始的な未開民族のあいだに、この親族の名称法の奇妙な慣習がひろく存在していることを発見したのである。
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すなわち、わたくしたちのもとでは、叔母を『母』とよぶことがないし、また甥を『息子』ということもなく、親族においてことなった関係にたつ人々は、
それぞれ別だの言葉で言いあらわされているのであるが、多くの未開民族のもとでは、たとえば従兄弟をも『兄弟』とよんだり、
甥をも『息子』といったり、また叔父をも『父』と称したりするというふうに、
本来はことなった親族の間柄である者たちをとくに区別せず、一緒くたに、一つの言葉でよぶという慣習があるのである。
モルガンはこの奇妙な慣習に気づき、それを「類別式」の親族名称と名づけ、
これにたいして、わたくしたちのもとでのごく当りまえの親族のよびかたを「記述式」の親族名称という術語でよんだのである。

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結婚形態論のはじまり

以上のようなバッホーフェンの考えかたが、当時の世間や学界にたいして、いかに戦傑的な驚きをあたえたかは、容易に想像することができよう。
自分たちのはるか昔の祖先たちがあさましくも(はくちゅう) 畜生の(ちくしよう) ように白昼に公然と、
相手かまわず性的な関係をむすんでいたという光景は、結婚をほかならぬ「秘蹟」(サクラメント)の一つとして、
神の恵朶たもう一つの恩寵として厳粛に考えていた人々にとっては、とうていおしはかることもできなかったにちがいない。
ましてや、そのような色慾にくるう畜生道(ちくしようどう) が神為の思召しにほかならないのだと説くにいたっては、人々の常識からすれば、
気ちがい沙汰としてしか考えられなかったかもしれない。

しかしながら、バッホーフェンの学説は、その説の当否についてはともかくとして、
結婚についての「旧約聖書」的な考えかたを完(かんぷ) 膚なきまでにはげしく攻撃し、
結婚や家族の歴史についての学問を神々の支配から解放させたという点において、きわめて重要な意義をもっているといえよう。
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かくして、いまや、父権的な一夫一婦制的結婚以外のさまざまな結婚と性関係のありかたを、
歴史的に探ってみようという気運が、ようやく社会科学のなかで芽生えることになった。
結婚の形態、結婚の歴史が、学問的な仕事としてまじめに研究されることになったのである。
そしてそのぱあい、学者たちがもっとも大きな関心を示したのは、やはり、人類のもっとも原始的な段階において、
バッホーフェンが説いたような乱交的な性関係があったのか、それともまた、
旧約聖書にえがかれたアダムとイヴとの結婚のように、一夫一婦的な結婚がすでに存在していたのか、という問題にたいしてであった。

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結婚という制度

この習俗は、のちにくわしく検討をくわえられるが、原始的段階に乱交的性関係がいとなまれていたのだという考えかたにとっては、
まことに恰好な材料をなすものであった。というのは、その一時的な性的な乱痴気さわぎが、原始時代の乱交のなごりだとみなされなくもないからだ。
バッホーフェンや彼につぐ一九世紀の多くの人類学者たちも、たしかに、このよう考えた。

しかし、バッホーフェンたちは、この習俗が、ほかならぬお祭りのときにおこなわれるという点を、ことのほか重くみた。
というのは、お祭りのときをえらんで性的なご乱行が演ぜられるというのは、
そのご乱行が、あたかも神を祭るために奏せられる舞楽とおなじ意味をもっているからではなかろうか、と解釈されたからである。
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そこで、、ハッホーフェンたちは、つぎのように考えたのである。すなわち、元来、性的な乱交は、「神の徒(おきて) 」にしたがうものであった。
ところが、のちに人間は結婚という制度を考案して、性関係を特定の夫婦の間の排他的な関係に制限してしまった。このような結婚は神の命令にそむいたもので、
それゆえ、神の徒をおかした罪を、人灸は何らかのかたちであがなわねばならないと考えられた。
祭礼のさいに、一時的にせよ乱交的な性関係を神の御前でとりむすぶのも、人々がかように神々の定めた乱交の徒をおそれ、自らの罪をつぐなうためなのだと。

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結婚の排他性

ところで、このバッホーフェンの母権論において注目される点は、娼婦制という語でよばれた原始期の乱交の状態を、
彼が動物的な交尾の状態として承とめていたということである。彼はこんなふうに説明している。
「実存の最低の段階では、人間は、完全に自由な性的混清の象ならず、性交の公然性をも示している。
人間は動物に相似て、特定の一女子と持続的に結合せずに、衆人環視のうちで、自然の衝動を充足するのである」と。
大学教授や裁判官は、えてして、庶民にはわかりにくい、むずかしい言葉づかいを用いるものだが、
ここでパッホーフェン判事どのの申されていることは、わかりやすく言えば、こういうことだ。
すなわち、人間は、もっとも原始的な段階では、定まった男女の間で固定した性関係をいとなむのではなく、
よい相手とおもえば、ただちにそれと交わり、別の相手がよいとおもうとただちにそれと関係し、
しかもその性交渉が、ちょうど動物園のおりのなかのサルが金網ごしに人間のみているのもはばからずに交尾するように、
白日(はくじつ) のもと、衆人環視のうちで、いとなまれるというのだ。
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動物的な交わりこそ神の思召し

しかも、驚くべきことに、原始人たちは、このようなまさしく動物的な乱交の状態こそが、神々の思召しにそうものだと考えていたというのだ。
では、いったい、どんな根拠があって、このようなだいそれたことを、バッホーフェンは言うのだろうか。

彼がこのぱあいに根拠としているのは、結婚の制度とむすびついてあらわれるいくつかの乱交的な習俗である。
たとえば、祭礼のさいに結婚の排他性が一時的にやぶられ、妻帯の男であれ、夫もちの女であれ、寡夫であれ寡婦であれ、独身の男女であれ、
すべての成年男女が、いかなる拘束にもしばられず、好きな相手をえらんで性的な放埒(ほうらつ) にふけることができるという奇習である。


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一定の結婚の関係

アフロディテ女神は、いうまでもなくヴィナスのギリシャ名である。愛と美の女神である。この
第一の段階の「娼婦制」(ヘテリスムス)という語の「ヘテーレ」とは娼婦のことであり、それゆ
え、売淫を想いおこさせる言葉であり、また、他面、娼婦制は一定の結婚の関係を前提としたものであるが、
さきにのべたように、バッホーフェンは、この言葉によって、男女間のおおらかで制限のない性の享楽、
つまり、乱交的な性生活をあらわそうとしたのである。女神デメーテルは、大地と穀物豊饒の(こくもつほうじょう) 神であるが、
この女神によって象徴される第二の段階は、第一の段階と同じように母権制の段階である。そして乱交的な関係がまだ跡をとどめているが、
すでに結婚の制度がつくられており、性関係にたいして制限がもうけられるにいたっている。
そして、アポロ神によって象徴される第三の段階では、乱交的な関係はまったく跡をたち、結婚における夫婦の排他的で独占的な性関係が確立するのである。
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この発展段階の考えかたにおいてはっきりと示されているように、バッホーフェンは、第三の段階である古代文明社会における「父権制」にさきだって、
第一と第二の段階において、これとは原理のうえでまったく対立する「母権制」が存在していたのだと考えたわけである。

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結婚・家族のありかた

だが、ダーウィンの生物進化論は、たんに、「旧約聖書」的な人類創造の伝説をうちやぶったばかりでなく、
人類のもっとも原始的な結婚・家族のありかたをきわめる上でも、きわめて重要な意義をもつものであった。
というのは、もし人間がサルと同じ起源に発するものだとしたら、原始期の人類も、
サルやその他の動物で象られるような乱雑な雄と雌の交わりをいとなんでいたと、考えられなくもないからである。
そして事実、「種の起源」が出版された二年あとに、人類の〃尊厳性″にとってもっとも忌わしいこの考え方が、
以前に論ハーゼル大学でローマ法の教をつとめたことのある一人の裁判官によって、堂女と発表されたのである。
すなわち、一八六一年に、バッホーフェン判事は、かの有名なる「母権論」をあらわし、
人類のもっとも原始的な段階では、彼が「娼婦制」という不適切な言葉で言いあらわそうとした乱交的な性生活がいとなまれていたと主張したのだ。
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◇ハッホーフェンは、原始社会の発展を、つぎの三つの段階においてあとづけた。

第一の段階==アフロディテ女神で象徴される「娼婦制」の段階。
第二の段階==デメーテル女神で象徴される「女人政治制」の段階。
第三の段階==アポロの神で象徴される「父権制」の段階。


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主婦

あなたは他人の目ばかりを気にする小心な男ねあなたといるかぎりわたしはのびないわたしの仕事なんか軽くみてるんだうさぎを虫かごにとじこめようとする人なんだ
夕食の食器をあらあらしく
洗いながら
妻はことばの棒で夫を打つ
こんなときに限って
洗い物が山ほどあるんだ

けっこん前もそうだった仕事なんか早くやめて帰ってこいとそれは強引だったじゃないちゃんと区切りをつけたいからと何度たのんでも聞きいれようとしなかった

背後の食卓で
夫はだまって聞いている
だまってそこで手まぜをしながら

わたしが自分のことはぜんぶあとに回してあなたのためにセンタクとソウジとセックスさえ提供すればあなたは満足するんでしょう
キッとなって妻がふりむく
夫の顔はかなしくわらっている
「舌切り雀」のおじいさんの顔

無欲な山羊のような顔

おんなはやさしいもの
おんなは真綿のように男をつつんでくれるもの
家で男を待っていてくれるもの
そんなふうにあなたは思っていたんでしょう
こどもを産んで育ててくれる・・・
ちがう真っ平御免
夫はだまって手まぜをしている

翌朝
折られたツマヨウジのかけらが
ちんまりと
食卓の上につもっていた
なにかを語るもののようでもあり
なにも語らぬもののようでもあり

野生のあさがおが露をうかべて
夏がおわろうとしている

洗え洗え
ちからいっぱい洗え
せまい流しの上に
山と積まれた夕餉の食器
ひじきを炊いたナペ
豚汁のナベ
バターのこびりついたフライパン
炊飯器の内がま
洗え
きれいさっぱり洗え
きっかりと伏せこんでいけ
そしてあしたは
ほっかりと芋でもふかしてやるか

ずるずるとすべり落ちていくこの感じは何だ

ぼろぼろととてももろいじゃないか
やっと成形している石膏のように
うすよごれた砂岩のかけらのように
ほろりほろりと感性がくずれていく
留めようとしたって留まらない
実に健全な速度なのだ
そのあとにやってくるのはご多分にもれず
痴呆のような睡気と食欲
豊満な鈍重さと
分別のある低俗さと
同じ形のしぶとい日常

おまえもなるのかよ
そんなふうな主婦に
そして自分のことをばかですあほです
と言って危うい保身をして

公民館の文化祭かなにかで
人の活けた花や稚拙な絵や日本舞踊なんぞを
ほめたりするようになるのかよ

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夫婦の役割分担

主婦はぜいたくになったのだろうか?そのせんさくは後回しとして、次に紹介するのは一九八七年末のものである。長いので要約しよう。

「自分のひとつしかない人生を、大切に自分の意志に忠実に生きてみたい」
こういった投稿を雑誌でよく染かけます。投稿者の多くは既婚の女性で、男性の同様の趣旨の発言をみかけることは滅多にありません。
男だって自分の意志どおりに生きていける者など、ほんのひと握りもいないと思うのですが、男はそんな発言をしません。
諦めているのか、諦めないまでも、つねに目の前にぶら下がった給料のアップや昇進のチャンスをかちとるための闘いを続ける男にとっては、
それが人生で、自分だけの人生などと、改まって考えることは少ないのかもしれません。という書き出しである。

育児も経済も全てをおしつける夫を理解しようと努力し、不満をじっとがまんし続けるうちに、夫は稼いでくるだけで、
あとは全部妻の役割という役割分担を担うことになってしまったのです。
そのうちに、夫は、妻が何を考えているかを考えようともしなくなり、不満を抑えているとは思いもせず、稼ぐ以外のことは全て妻に依存するという、
一定のパターンができ上がりました。
しかし、あるところで、これでは自分が潰れてしまうと思った妻が、夫にもっと私の人間性を認めてくれと要求することになるのですが、
一様に夫はきょとんとして、妻の要求自体が理解できなくなっているのです。私の夫もその中の一人です。
夫は、自ら認めるような企業戦士です。高い給料もとりますし、世間に誇れる肩書きもあります。浮気じみた話もなく、冷静な理論的思考を持った勤勉な努力家です。
性格的には温和な人だと思います。

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夫の母親になる妻

夫は自分が企業で落ちこぼれないために相当の犠牲を払っています。
睡眠時間、食事、趣味や家族との交流を楽しむようなプライベートな時間、どれにしても満足なものはありません。
年中、睡眠不足で頭痛に苦しみ、頻合と繰り返す胃痛、胃潰瘍の持病を持ち、子供との交流どころか、日盈の疲れで休日は一部屋に閉じこもって出てこないような有様です。
夫のそういった企業人としてのあり方や家庭人としてのあり方は、私からみれば、まさに異常事態であり、どうねじ曲げて解釈しても、人間らしい生活とは思えないのです。
もし、私が夫の肩書きを自分の勲章と思い、夫の高収入で物欲を満足させることが私を充実させることだと思えれば、問題は起きず、私のさびしさはそれで報われるのでしょうが、私にはそうは思えません。
この人は二人の子供があり、はたの見る目には羨ましいような奥様だろうと思う。それがさくばくとした夫婦生活に耐えかね、苦しい胸のうちをせつせつと綴ってきた。
企業戦士の夫は、「じゃまをしないでくれ、退職したら海外旅行に連れて行ってやる」
と言うのだが、妻の方は、それは「夫の母親になることだ、それを夫は望んでいるのだ」と理解はするものの、
確かなことは、それは今すぐではなくて、十年先だということです。
しかし、この先十年、私の母性本能はもちこたえるでしょうか、枯渇しないでしょうか。
夫の母親になるとなれば、無私でなければなりません。本質的には甘ったれでさびしがりやの私の心の空洞をどこで埋めたらいいのでしょう。
それを夫に持っていくわけにはゆかないのです。
趣味か、レジャーか、不倫か、買い物か、いろいろ考えてみるのですが、どれをとっても心のさびしさは満たされそうにありません。
彼女は「家庭内離婚しかない」と結論する。
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恋愛は体験学習

「恋愛もSEXも人生も、すべては体験学習こそ大切」なんだ。
だからオレは、どんな失敗も悩みも、決してマイナスじゃないどこか、すべて自分にとってプラスになるんだよ、ってことを、みんなに伝えたかった。
「負けを知ってる人こそ、本当の勝ちを手に入れられる」ってことが、最大のテーマ。
これまでのオレの体験やいろんな人達からの相談やエピソードをたくさん盛り込んだ。オレなりの「恋や人生においての勝ちパターン」を伝授。
みんなにとって、「元気になれるサプリ」みたいな存在になったら嬉しいよ。
街でオレを見かけたら、気軽に声をかけてよね。そのときは、キミの恋の成り行きに、耳を貸すつもりだから・・・。

合コンに勝負下着で挑むオンナって? 想定外のシチュエーションにオトコは燃える!
出会いの場っていろいろあるけど、例えばで知り合った後、他の友達を集めて合コンなんて日の事、
「今日は合コン。いいオトコと出会って、そのままベッドインもありうるかも……」なんて思いながら、「勝負下着で、いざ出陣!」っていう女の子、結構いるよね。
でも、そもそも、その安易さがNGだってことに気づいてない子が多すぎると思うんだ。
オトコってさ「そういうつもりじゃなかった」っていうシチュエーションが一番興奮しちゃう生き物。
ほら、よく「女の子が、オトコのYシャツを1枚だけで着てる姿ってソソる」っていうじゃない?
あれって、「カレの家に泊まる準備をしてこなかった」っていう想定外のシチュエーションだからこそ、興奮するんだよ。
「(SEXが)あると思って来られた」というシチュエーションは、オトコにとってみればあんまり好ましいものではないんだよね。
逆に「合コンで出会ったオトコと、その日のうちにベッドインするなんてありえない」と思っているオンナも、それはそれでどうかと思う。

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